ファテープル |
旅行☆世界遺産への旅 |
旅行情報 |
|
「旅行☆世界遺産への旅」 とは
世界遺産をテーマとした旅行サイトです。900件近くある世界遺産の中から、旅行をするのに最適な世界遺産を
選りすぐりました。エキゾチックな文化遺産や、幻想的な自然遺産、秘められた神秘の世界など、壮大な世界遺産の
旅を味わえます。世界旅行をするなら、絶対におさえておきたい世界遺産。旅行のヒントになるよう沢山の情報を
掲載しました。まずは、「旅行情報☆世界遺産への旅」を閲覧していただき、、仮想旅行を楽しんでください。
|
HOME < ファテープル |
◆ファテープル・シークリー
世継ぎに恵まれなかったアクバル帝は、アーグラの
南西220kmほどにあるシークリー村に住む聖人シュイク・
サリーム・チシュティのもとへ子宝祈願に訪れた。聖人は
「5年以内に3人の男の子を授かるだろう」と予言。その
言葉どおり、皇子サリームをはじめ次々と男児に
恵まれた。アクバル帝は大いに喜び、1571年この地に都を築いた。その後、
ジェラート地方を制圧した記念として、ファテープル(勝利の都)と名づけられた。
アクバル帝は、自らの権力の安定と領土統治のために諸宗教融和政策を実践
していたが、この都の建造物はまさにその反映であった。モザイクの壁面が美しい
ジャマー・マスジト(金曜礼拝のモスク)や、柱と屋根だけでできたパンチ・マハル
(五層の宮殿)などは、イスラム建築とインド古来の伝統技術の融合が顕著である。
ジャマー・マスジト内には、すべてが白大理石でつくられた聖人シェイク・サリーム・
チシュティの墓廟があり、赤砂岩のモスクの中でひときわ映える。1585年、この
新都城は水利の悪さが原因で放棄されることになった,およそ5年をかけて
建築された都城は、遷都からわずか14年間使われただけで、役目を終えた。
アクバル帝の去ったファテープル・シークリーは廃墟となり、そのためと時の建造物が
今日まで無事に残ったというのは皮肉なことである。
<出所元:小学館『世界遺産の旅』>
|
ヨーロッパ
イタリア/バチカン/マルタ
スペイン
フランス
イギリス/アイルランド
ドイツ周辺諸国
北欧/バルト諸国
中欧
東欧
ギリシャ/トルコ/キプロス
ロシアと周辺諸国
アフリカ
アフィリカ北部
アフリカ西部
アフリカ中南部
アジア・オセアニア
日本
韓国/中国
東南アジア
南アジア
西アジア
オセアニア
南北アメリカ
北アメリカ
中央アメリカ
南アメリカ
|
|
Copyright(C)2009 Whistle 旅行☆世界遺産への旅 All Rights Reserved |
|