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琉球王国のグスク及び関連遺産群



琉球王国のグスク及び関連遺産群(りゅうきゅうおうこくの
グスクおよびかんれんいさんぐん)は、2000年にユネスコの
世界遺産(文化遺産)に登録された、グスクなどの
琉球王国の史跡群を総称した名称である。沖縄本島の
主に南部に点在する。

◆今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多量に出土し、
往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定される。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末~2月始めに開花する。本部町の八重岳などと並び、沖縄県の桜の名所として知られている。(※日本トランスオーシャン航空作成の壁掛けカレンダーの1月は最近数年間ここの桜景色が写真を飾っている)城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。

◆座喜味城跡(ざきみじょうあと)
1416年-1422年に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)が築城したとされている。城門のアーチに楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされる。沖縄戦前には日本軍の砲台や、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、城壁の復元が行われた。1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されたが、米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定された。ただし、現状変更のあった部分(西側道路部分)についてはのちに指定を解除している。2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は座喜味城跡)。城内で演劇が行われるなど、広く利用されている。城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺めることができる。

◆勝連城跡(かつれんじょうあと)
城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。城内からは中国、元代の陶磁器(染付)が出土しており、『おもろさうし』からも当時の繁栄をみることができる。城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られたが、現在は復元工事により往時の姿を取り戻しつつある。1972年(昭和47年)5月15日、国の史跡に指定された。2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は勝連城跡)。登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクとされている。

◆中城城跡(なかぐすくじょうあと)
中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から西北から北中城村の南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。 石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。

◆首里城跡(しゅりじょうあと)
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。戦前は正殿などが国宝であったが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう)などの文化財がある。

◆園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っている。 もともとは今より広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部である。首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。 園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた。オヤケアカハチの乱(1500年)で、王府軍が八重山へ出兵したさいに、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた西塘という人物により創建されたとされる。沖縄戦において王城とともに戦禍を被り、無惨な姿となるがのち1957年に復元。さらにそのご旧石門の残欠を再利用しての修復作業が行われた。現在の石門を注意深く見てみると、明らかに摩耗の度合いが異なる部分があるが、このためである。園比屋武御嶽石門は1999年に国の重要文化財に指定され、2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている。

◆玉陵(たまうどぅん)
玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれる。中室は葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。洗骨した後、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭には珊瑚の破片が敷き詰められている。第二次世界大戦時には、玉陵は東室、西室が破壊されるなど大きな被害を受けた。現在、見られる大部分は第二次世界大戦後に復元されたものである。また第二次世界大戦でなくなった沖縄県立一中の生徒を弔うための「一中健児の塔」などが近くに建立されている。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された他、全体が国の史跡、玉陵墓室石牆が国の重要文化財(建造物)、石彫獅子と玉陵碑が県の有形文化財(彫刻)に指定されている。

◆識名園(しきなえん)
識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれた。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、現在でいう迎賓館として使われた。「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。正門から池に通ずる石畳道は真珠道(まだまみち)と呼ばれ、かつては首里城と識名園とを結んでいた。現在では金城町の部分のみ石畳が残っている。第二次世界大戦で園内のほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元(工期:1975~1995年)である。1941(昭和16)年、国の名勝に指定され、戦禍で壊滅後、1976年再指定。2000(平成12)年には国の特別名勝に指定され、同年12月世界文化遺産に登録。1999(平成11)年以来、毎年11月3日(文化の日)には園内で識名園歌会(花ゆうな短歌会主催・那覇市教育委員会共催)が開かれ、短歌を楽しむ人達でにぎわう。なお、敷地内に「育徳泉(いくとくせん)」という泉が湧く。そこに生える淡水産の紅藻類「チシマスジノリ」は国の天然記念物である。

◆斎場御嶽(せーふぁうたき)
敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数ある。 3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされる。 なお、三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができるが、これについては史書には記述がない。これは、近世になって三庫理の岩壁の一角が崩れたことによるもので、かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だった。



<出所元:小学館『世界遺産の旅』、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>






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