平泉
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平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

「平泉の文化遺産」は岩手県平泉町にあり、平安時代末期の12世紀に奥州藤原氏が
築いた寺や寺の跡地などです。中心となる中尊寺は国宝の金色堂があることで
知られています。奥州藤原氏四代にわたる約100年の間に、都の文化を取り入れつつ、
独特の黄金文化が花開いた平泉。中尊寺、毛越寺、観自在王院跡など、近年の
発掘調査から、当時の文化が京都と並んで極めて高い水準を誇っていたということが
判明しています。また、中尊寺や毛越寺、無量光院跡など、周囲の豊かな自然環境と
一体となった浄土思想を基調とする文化的景観は、世界でも類例のない貴重な遺産と
評価されています。


●中尊寺
中尊寺(ちゅうそんじ)は、平泉町にある天台宗東北
大本山である。国宝の金色堂、重要文化財の経蔵などを
含み、境内は国の特別史跡に指定されている。
寺伝によれば開山は円仁で、中尊寺の名は清和天皇に
よって与えられたものという[38]。ただし、再興したのは
藤原清衡で、前九年の役、後三年の役で相次いで家族を
亡くしたこともあり、敵味方を区別せずに戦没者の魂を
浄土へ導くことと、東北に優れた仏教文化を根付かせることを目指したものだった。

清衡は12世紀初頭に多宝堂(最初院)を建立したのを皮切りに、多くの大伽藍群を
建立した。二階大堂という巨大な堂宇は後に鎌倉の永福寺のモデルにもなったが、
それらの建造物群は1337年の火災であらかた焼失した。金色堂は当時の姿のものが
残っているが、本堂は1909年に再建されたものである。

<金色堂>
金色堂(こんじきどう)は国宝となっている阿弥陀堂である。藤原清衡によって建立され、
1124年に完成した。高さ 8 m、幅約 5 m で、金銀をふんだんに使った華麗な装飾が
ほどこされている[41]。内部には清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体や泰衡の首級が
納められている。このミイラの存在はかつてアイヌの習俗と結び付ける見解も提示
されていたが、現在では、当時の京都でも見られた仏教の様式を取り入れたものと
理解されている。当時の建造物群があらかた焼失した中尊寺にあって、創建当初の姿を
伝える貴重な建造物であり、2006年に行われた巻柱の年輪年代学による年代鑑定の
結果からもそれは裏付けられた

<覆堂>
国宝の金色堂は現在コンクリート造りの新覆堂(しんおおいどう)で守られ、
ガラスケースの中に納められている。これは1970年に建造されたものであり、
室町時代中期に建造されたそれ以前の覆堂は別の場所に移築され、それ自体が
重要文化財指定を受けている。

<経蔵>
経蔵(きょうぞう)は、清衡によって奉納された『紺紙金銀字交書一切経』
(こんしきんぎんじまぜがきいっさいきょう、国宝)をはじめとする写経群を納めていた
建造物だが、2階部分は1337年の火災で損壊した。『紺紙金銀字交書一切経』などは
現在別の場所に移管されているが、経蔵自体が重要文化財の指定を受けている。


●毛越寺
毛越寺(もうつうじ)は平泉町の寺院である。1226年の
火災で多くの伽藍が失われ、1573年に完全に焼失
した。そのため、当時の本堂は残っていないが、
浄土式庭園は一部が特別史跡に、全体が特別名勝に
指定されている。特別史跡と特別名勝の二重指定は、
国内には8例しかない。開山は円仁と伝えられるが、
再興したのは藤原基衡で、当時としては最大級の
規模を誇る寺院であった。『吾妻鏡』の「寺塔已下注文」
によれば、中尊寺が「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」に対し、毛越寺は「堂塔四十余宇、
禅房五百余宇」とされていた。現在残る浄土式庭園は平安時代の様式をそのまま
残すもので、特に遣水の遺構は平安時代の様式を伝える唯一のものであり、
その規模の大きさとともに特筆されている。常行堂(じょうぎょうどう)は当時のものでは
なく、1732年に再建された宝形造の堂宇だが、そこで毎年1月20日に行われる
「延年の舞」(えんねんのまい)は重要無形民俗文化財となっている。世界遺産推薦に
当たっても、当時の浄土思想を伝える無形文化財としての価値に触れられていた。


●観自在王院跡
観自在王院跡(かんじざいおういんあと)は、平泉町に残る遺跡で、特別史跡・名勝に
指定されている。観自在王院は藤原基衡の妻によって建立された寺院だが、1573年に
焼失した。昭和時代の二度にわたる発掘調査(1954年 - 1956年、1972年 - 1977年)と、
修復事業(1973年 - 1978年)によって、当時の姿を偲ばせる庭園が復元された。
毛越寺とは南北道路を隔てて隣接しているが、その毛越寺の庭園に比べ、優美では
あるものの簡素な意匠であることが指摘されている。現在も基衡の妻の命日である
5月4日には、その死を悼んで始まったという「哭き祭り」(なきまつり)という祭事が
行われている。


●無量光院跡
無量光院跡(むりょうこういんあと)は特別史跡に指定されている巨大な阿弥陀堂跡で、
『吾妻鏡』は藤原秀衡が宇治の平等院鳳凰堂を模して建立したと伝えており、1952年の
発掘調査の結果もそれを支持するものであった。平泉で京都の様式を全面的に
模した寺院が建立されたのはこれが初めてで、京都に比肩する北の王都を
建造しようという秀衡の意図の表れと指摘されている。もちろん、浄土思想の色彩が
強い平等院の模倣は、浄土を表現する意思の現われとも指摘されている。建立に
当たっては、当初から西方極楽浄土が強く意識され、庭園、阿弥陀堂、背後の金鶏山が
東西方向に並ぶように配置されている[52]。その空間配置は、世界遺産への推薦に
当たっても浄土式庭園の最も発展した形とされた。


●金鶏山
金鶏山(きんけいざん)は、平泉町にある標高 98.6 m の
山である。2005年に史跡に指定された。金鶏山は奥州
藤原氏の都市計画において基準点をなしたと推測
されており、山頂の真南には毛越寺境内や幹線道路と
直行する道路の端が存在している。また、彼岸の時期に
無量光院の堂宇を庭園の中島から眺めると、堂宇の
背景で金鶏山の山頂と日没が重なるように見ることが
できたとされ、単なる基準点にとどまらず、西方極楽浄土を
想起させる空間設計上も重要な位置を占めた。


<出所元:小学館『世界遺産の旅』、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>






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